幼なじみ あなたのバナーがきっかけになる
•応答せよ1988(2015〜2016年 tvN 全20話)
ストーリー★★★★★☆
胸キュン度★★★★★☆
切なさ度 ★★★★★☆
時は1988年。韓国で初めてオリンピックが開催されるこの年は、国中がお祭り気分で活気に溢れていた。学校の成績は999番、勉強よりもオシャレに興味津々の高校2年生ドクソン(ヘリ(Girl's Day))は、両親と姉、弟の5人家族。鬼のような姉、ボラ(リュ・ヘヨン)とはささいなことですぐに取っ組み合いになるものの、勝つのは決まってボラだった。近所に住む幼なじみ、サッカー好きのジョンファン(リュ・ジュニョル)、優等生のソヌ(コ・ギョンピョ)、お調子者のドンリョン(イ・ドンフィ)、そして天才囲碁棋士のテク(パク・ボゴム)とは兄弟のように育ち、母親たちの日課である「お裾分け」のせいで彼らの家の食卓に上るメニューは毎日同じになってしまう日々を過ごしていたが…。
1994の余韻から抜け出せないまま1988の視聴に入ったのでどうしてもトーンダウンしちゃったけど…
それでもやっぱり応答せよシリーズは最高!!!!
前回は恋愛色強かったけど、今回はどちらかというと家族がテーマだったかな。
今のように便利な生活ではなく、決して満たされた時代ではないけれど、人と人が密につながっている心の温かい時代。
胸の詰まる名シーンの連続でした。
恋愛面では、今回も未来の旦那様探し形式になっておりますがこちらはネタバレになりますので何も書けない(笑)
いつも自然と集まり、あーだこーだとダラダラと皆で過ごした時間って何十年も経ってからいかに貴重だったかに気づく。。。彼らだけではなく、皆そうですよね。
紅一点のドクソン(ヘリ)はもうリトル尾野真千子にしか見えません(笑)似すぎでしょ!!!
エピソード0より。
素顔の彼女も超キュート

1994のほうがドラマ的には好きだけど、コ・アラが好みでなかったので、主人公は完全に1988のヘリのほうが好き!
アイドルということですが、演技上手だし、変顔も可愛いし「愛くるしい」の一言でした

本当に恋に不器用な男でした。
だけど時折ドクソンや家族に見せる優しさがたまらないー!!
ドクソンの恋愛に絡んでくるであろうメインキャストに、いわゆるイケメンを採用しないとは思い切ったな〜と初め思ったけど、思春期の高校生男子を誰よりもリアルに演じていて絶妙なキャスティングでしたね。
もー可愛いのなんのって。
ツンデレ大好きなわたしですが、
あまりに可愛いすぎてテクにハマってしまいました


囲碁しか知らず世間知らずでなーんも出来ないんですが、可愛すぎてイライラしない(笑)
父親と二人暮しで親子共々マイペース。
箸すらまともに使えないテクを皆がせっせとお世話をするのが見ていて面白いです

天才囲碁少年役というパク・ボゴム。
役作りのために実際囲碁を勉強して打ち方などを学んだそうです
医者を目指して医大へ行くのですが、そこで1994のスレギとの絡みが出てきて応答せよファンには嬉しいシーンとなっています
父親を亡くして苦労している母親を見ているので、人一倍母親想いの優しい男です!
この中でドクソンの未来の旦那様になるのは誰なのでしょうか…??
現在のドクソンと…誰かはお楽しみ

そして恋愛以外で視聴者を泣かせてくれたおじさま、おばさま軍団。(あ、一人老けた若者が…笑)
韓国に限らず、日本でもご近所付き合いが盛んな時代ありましたよね。
私が高校生のときはさすがにもうこんな風景見なかったけど、小さい頃はご近所さんのおばさま同士でいわゆる井戸端会議をしてる光景ってよく見た気がするな〜(外でもやしの芽とってるのは一度も見たことないけどね 笑)
羨ましいような…面倒くさいような

それぞれの家族が抱える悩みは国や時代や環境が違ってもだいたい同じ。
父親・母親が子供へ求めることは根本的には皆一緒なんだと思った。
テク父の名言
『子供は思い通りにならない。
我が子に勝てる親はいない、
この言葉に一つも間違いはない』
これ大好きです。
無口なテク父ですが、一つ一つの言葉が重みあります。
何だかんだ子供に言いつつも、結局はこの言葉に行き着く気がする
前回まさかの大学生役でしたが、今回はジョンファンの父親役。
ぶっ飛んでいました

最高!!
そしてドラマの中で日本人のわたしが思わず懐かしくて反応したのは
まさかの「オジャパメン〜

」
そうソバンチャ(소방차消防車)です。
もはや、ごっつええ感じで「オジャパメン〜ナネガミオジョソ
」って、ごっつメンバーが歌ってたコントしか思い浮かばないでしょう(笑)
かつてカラオケでも夜中の変なテンションなると必ず誰かが歌いだしていたという定番曲。
私も何度歌っただろう…(笑)
そんなオジャパメンを全力で踊るドクソン達…最高に笑えました。
韓国の方々にはアイドルの名曲のようですが、
私の世代にとってはダウンタウン伝説の名曲コントとなって輝き続けております。。。

ちなみに、今応答せよ1997も見てますがやはり結末知ってるのでイマイチ楽しめない。
まだ1994を見ていない方がいたら!!
1994メンバーが出てくる回で微妙にネタバレになるので順番に見た方がいいです。
私は1994を見てる時に不意打ちで1997メンバー出てきて結末知ってしまいました

話それまくりましたが、心温まりたい方は是非このドラマをお楽しみください

幼なじみの人気はいつまで続くのか、セットで買ってお得な店舗が勢ぞろいしてます
[鬼子母神日記]
●巻頭連載
「我らの時代の墓碑銘を描く画家――その淫蕩する光線」
[第29回]
「Man Ray」
佐藤ブライアン勝彦●作品&文
(2017/Acryllic on canvas)
ちょっと現在の事を書いてみたいと思う。
いまは7月6日の朝5時。
仕事の絵を描いているのだが……。
先日、20年来の友人J君が来仙した際に、途中の絵を見てもらった。
「途中だけど、ちょっとブラちゃんぽくないなぁ。ブラちゃんの念を込めて描かなきゃ」
と言われ、絵描き魂に火がついた。
ここ10日位は毎日3時間睡眠で絵を描きまくっていた。
手が止まらないため、お店のディナーは休み。
(曽根注――え! バカかかっちゃん)
この感覚は久しぶりだった。筆が勝手に色を置く場所で止まるんだ。
何色をのせれば良いかも、調合の配分もスッと頭に入ってくる。
向こうの世界へと、ちょっと足を踏み入れた様なこの感じ!
霊感の強い友人に、背後で緑色の服を着た、とても大きな女性の天使が導いてくれている。
と言われた事がある。
しかも、彼女は他の女性が僕に近付くと嫉妬するそうだ。
「願えば、姿を現してくれるよ」
と言われたのだけど、僕にはそんな能力はない様だ。
もしも、彼女の手が僕の右手に手を添えてくれているのなら、いつか、その温もりを感じる日が来ることを願って、そろそろ筆を置くとしよう。
●自分の店(イタリアン・レストラン)の店内です。最近は暑いのでアトリエには行かず、ここで絵を描いてます。
[蛇足の前口上]
えー、今回の日記というか戯文、いつにもまして、われながら「長いなあ」と呆れるくらいなので、あなたも心してくださいね。
祭りの話が三つ巴(みつどもえ)するのだけれど、なにせ3つとも視線があっちこっちに向いているので、がっぷりよつに組あっていません。
とりとめないし、もちろん1本通ったテーマなどありません。第一なにを言いたいのか私にもわからない。
(これでも半分にはしょったのだからお笑い草だ)
まあ、いつものことではあるけれど、そこは才なき50男の不始末。
なにとぞ温かい眼で読んでいただき、夏の涼とされたし。
(曽根 賢)
7月7日(金)鬼子母神は晴れ。
午前6時起床。
今日は2度目の鮎の塩焼き売り、テキヤ「夜祭り」デビュー日である。
それも「七夕」とは景気がいい。
せいぜい体力をつけようと、昼までに2度食事をとった。
(食材は昨日から用意してあった)
●おとついのミート・ソースに、焼きナスを足した200gのパスタ。
●卵を3つ使ったカツ丼(三つ葉をごっそり)ただしご飯は少量。
――他に、赤グレープ・フルーツを半分、カブと人参の糠漬け、チーズ、大粒のオリーブ、干しぶどう、ヨーグルト&牛乳、野菜ジュース、アイス・レモンティー、麦茶。
その合間に、手足の爪を切り、ヒゲをあたり鋏でそろえ、共同便所の掃除をした。
(私は「七曲り荘」に来て以来、大事な日は、縁かつぎに便所掃除をするようになった)
新品の下着とソックス、洗いたての黒いポロシャツにジーンズを身につける――夕べ銭湯で汗と垢は流しておいた。
手さげ袋には、やはり新品の作業用手袋とデニムのエプロン。
(100円ショップにて購入)
タオルを2枚と、念の為、かえのTシャツも1枚いれる。
正午――チオビタ・ドリンクを一息で飲み干す。
それから黒い夏用ハットをかぶり「七曲り荘」を出た。
足は、2カ月前に近所のリサイクル・ワゴンで見つけた、コンバースのパチモン(10円!)の「白ズック靴」をおろした。
陽ざしの強さからか、緊張からか、「七曲りの路地」で足がよろめく。
「けど、気分は上々だ」
と、いつものヤセ我慢をぼそり。
午後1時20分。
東京は板橋区上板橋の、150メートルほどしかない商店街。
商売に使うもろもろを車で搬入後、爺さんと2人で露店をつくる。
けっこう、てきとうに、休み休み。
お互い、煙草をくわえながら、水を飲み飲み。
なにしろ暑い。
他のテキヤ衆も三々五々、日陰にたむろし駄弁っている。
日盛りの路上のあちこちには、業務用の冷凍肉が何十袋と放置されてある――むろん解凍のためだ。
通りがかりのテキヤ衆が挨拶するたび、爺さんは卑屈な態度でお愛想をいうが、それ以外は口を開かない。作業の指示さえしない。
癪にさわるから、私も口をきかず、勝手に(1度でおぼえた)作業をすすめる。
また「代をつげ」と、話を蒸し返されるのも面倒だし。
それにしても無愛想な爺さんだ。
前回のときも、炭火で鮎を焼いているだけで、顔も上げず、客にも私にも一切むだぐちを叩かなかった。
「ふん、まあ、おれも根は無愛想か……お互い人嫌いの露天商だな。寅さんだって、本人の渥美清は異様な人嫌いだったそうだし」
それにしても爺さんの顔つきが、死んだ親父と、その兄弟親戚すじの男たちに似ているのが薄気味悪い。
宮城県の「曽根家」の男たちの顔つきだ。
「そういや、親父も酒を呑まなきゃ、ひとことも喋らない奇妙な男だったっけ」
福島県出身らしいが、まさか血つづきじゃなかろうな?
電柱のスピーカーから、小さな音で、ボブ・マーレイが流れている。
なかなか気のきいた商店街だ。
けど、こんな路地みたいな通りに、人が集まるんだろうか?
(2車線あるが歩道はほとんどなく、露店が両側に並ぶと、車1台がぎりぎり通れるくらいの道幅しかない)
もと「朝市」をしていた商店街らしいが、神社があるわけでもなし、神輿(みこし)や山車(だし)が練り歩くわけでもなし、ただ露店が並ぶだけの夜祭りである。
前回は480円の鮎の塩焼きを300尾売りきったが、さすがにここじゃ無理だろう。
今夜の値段は、1尾500円と書きかえられてある。2尾で900円。3尾で1,400円。4尾で1,800円。
今回は他の売りものはない――。
あれは東北震災前年(2010)の夏の話だから……もう7年前か。
初めて女を、宮城県古川市(現大崎市)の実家へ連れていった。
8月の頭のことで、古川は「七夕祭り」の真最中――3日間の初日だった。
(古川は人口10万ほど。七夕祭りは昔から仙台の次に大きい)
七夕飾りの下を流すのは10年ぶりのことで、私は楽しみにしていた。
着いて翌日の昼下がり。
女を連れて、町の中心部を横断する通りまで、農道を歩いた。
もちろん私は朝から酔っぱらっており、手には冷した「一の蔵」の4合瓶をぶらさげていた(女は缶チューハイ)。
市役所前から駅までの800メートルほどが、わが町の〈メイン・ストリート〉だ。その道が、七夕祭り3日間は歩行者天国となる。
道は2車線しかないが、けっこう広くとった歩道が両わきを通り、連なる商店が製作した太竹に吊った七夕飾り(竹と紙で作った大きなボンボリから吹流しの紙が垂れたもの)が、アーチとなって延々と続く。
とうぜん露店も両わきに800メートル並ぶのだから、かなりの賑わいとなる。
とはいえ、七夕祭りそのものはかったるいものだ。
そもそも昔から、祭りだというのに、神輿や山車や踊りのねり歩きが異様に少ないのだ。
祭り客はただ、吹流しの下をぞろぞろ歩くだけ。祭りのダイナミズムや熱気が決定的に欠けている。
(仙台もほぼ同様。これが「東北3大祭り」の1つかと観光客も呆れるだろう)
祭りとは世界共通、ひとりふたり死人をだすのが本筋だろうに。
800メートルの七夕飾りのアーチが全て倒れても、下に埋まった老若男女には、死人どころか、流血や呻き声のかわりに微笑がうかぶくらいだろう。
しかし、まさか死にたくはないし、まあ、のんびりしていて、中年以上となるとこれはこれでいいのかと思うのだが。
しかし、10年ぶりとなると、けっこう色々な変化も見受けられた。
●「不良外国人」に見える若い外国人の増加――みなプッシャー(売人)に見えるので、数人に声をかけたが誰もネタをもっていなかった(そのたびビックリされた)。
●そのうちに黒人が5、6人いた――胸に「ボブ・マーレイ(英字)」と黒地に白ぬきされたTシャツを着た男がいて、そのダイレクトなメッセージに共感した。
私も「よしだたくろう」と白ぬいたTシャツをつくろうか? と思ったほどだ。
●ワンポイント・タトゥーを腕やすねから見せびらかす若人の増加――流行らせた当の本人が言うのもなんだが、田んぼばかりの「米どころ」に、それは似合わない。
(古川農事試験場にてササニシキやヒトメボレができた。が当時も今も、農家のほぼ全てはコシヒカリとアキタコマチをつくっている)
※いや、いま思えばやはり似あっているのかな?
そもそも刺青は都市部に生まれたのではなく、辺地蛮族、古代人の文化なのだから。
昭和39生まれの私は、儒教の「親からもらったからだに自ら傷をつけるな」の教えが身に染みているのだろう。
なんて、やはり当の「ピスケン」がいうのもなんだが。
(私もジャンク・ユージも、タトゥーどころかピアスの穴さえない)
●こじゃれたバーや料理屋やラーメン屋や服屋や雑貨屋の増加――「下北沢吉祥寺」化?
●本屋は全滅。古本屋さえ無い――って、10万人市民は誰も本を読まないのか?
●幼児、小中高生の男女に「リーフ(大麻の葉)マーク」ファッションが急増――みな「シマムラ」で買っているそうな。
そして、なかんずく驚いたのは、アマチュア・バンドの増大である。
メイン・ストリートに老舗呉服屋をかまえる、幼なじみの親友・利明に聞いたところ、3日間の祭りで、演奏を披露するバンドは、その数なんと150バンドもあるという。
それもみんな「ロック」バンドらしい。
(当の利明もアコーディオンでバンドに混じっているが、それは自主制作盤も出している本邦絶滅危惧種バンド「チンドン屋」である)
私が高校生のころ、市内に存在していた「ロック・バンド」は5つもなかったろう。
(私のバンドもふくめ学際臨時バンドは含まない。が、もちろん七夕祭り出演150バンドの大半も臨時結成なのだろうが)
当時の七夕祭りでもロック・バンド演奏はあったが、それは当時唯一、町なかにあった楽器店のスタッフ・バンドだけだった。
(曲はビートルズの「デイ・トリッパー」と、ZEPの「コミュニケーション・ブレイクダウン」と、チャーの「スモーキン」が定番であった)
それが今では、メイン・ストリートの両端と真中の駐車場に建てた3つのステージで、他の民謡やカラオケや踊り等の演物(だしもの)の合間をすべて埋め、3日間それぞれ50バンドが演奏を披露するのだという。
(1バンド3曲とのこと)
もちろん、期待して聴きましたよ。
元バンドマンの耳で。
元ライブハウス「ブッキング係」の耳で。
元パンク雑誌編集長の耳で。
なにより古川で生まれ10代を過ごした耳で。
いやがる女にかまわず、市役所前ステージ20分、中央ステージ20分、駅前ステージ30分。
戻ってまた、中央ステージで20分聴いた。
そして呆れかえり、憤慨し、どんどん元気をなくしてしまった。
ロック・ミュージックを聴いて、それも七夕祭りなのに、酔っぱらって、意気消沈するなんてどういうことだ?
●ことごとく日本のお化粧バンドのコピーで(カヴァーじゃなく)、オリジナルどころか洋楽のコピー・バンドさえいない――コピーなのに、そのバンドの名前すら紹介しないって詐欺だろう。
●ことごとく音が小さい――アンプを「フルテン」にしたバンドが絶無である。ちまちましたエフェクターばかりに頼っており、アンプで音をひずませるって基本的なことを知らない。だからフィードバック音が、ただのハウリング音でしかない。
(※フルテンとは、アンプのつまみ全てを10にすること)
●ことごとく8ビートの楽曲しか演奏せず、ファンクもスカもレゲエもサルサも存在しないかのようだ。
●パチモンのセディショナリーズ「デストロイ」Tシャツは許す。
が、それに合わせ、ダメージ・ジーンズを履くな!
●PAが最悪――内音外音が小さいくせにバランスや音の抜けが極端に悪い。
素人かと思ったら、仙台の某PA会社が3ステージとも受持っていた。
PAが悪いってことは、文化度が低いってことだぞ。
「帰ろう」
途中からずっと薄笑いをうかべていた女をうながし、私は中央ステージを後にした。
(ちなみに女は、私とつきあうまで「ロック」を聴いたことがなかったが、1年後にはヴェルヴェッツの「シスター・レイ」を爆音でかけながら、車を運転するようになった)
市役所前ステージが近づいてきたところ、
「ん?」
耳を引っぱる音が聞えた。
それは芯の太い、ひずんだギター音だった。
私は女の手を引っぱって走った。
ステージの3人はみな、長髪ヒゲ面で、黒Tに黒パン黒ブーツ、Tシャツはそれぞれレアな「モーター・ヘッド」でそろえている。
ギターの音の鳴りが違う。
耳をつんざくフィード・バック音。
むろんマーシャルはフルテン。
ベースは「ヘッド」の出力を改造しているらしい。
PAを無視した爆音だ。
リズムも単純なエイトじゃない。ときに巧妙な変拍子が混じる。
むろん日本語のオリジナル曲。
まるで19歳のときに聞いた「ザドキエル」のような、高速重重R&Rだ。
(※ザドキエル=本邦初の3ピース・スラッシュ・バンド。ベースのモロタさんはライブの度にフレッドレス・ベースを叩き壊し、その後「DOOM」に参加して、自死をとげる。髪を立てるのに砂糖水を使っていた世代のパンクス)
人気バンドなのだろう、50人ほどの若人がモッシュしていた。
おお、ダイブしているやつまでいる。
「こいつらモノホンだぞ、おい!」
と、女へ言った。
しかし女は、かたい顔つきで答えなかった。
びっくりして声が出ないんだろう――と笑った。
曲が終わり、ギター&ヴォーカルのMC。
「次の曲は、アンチ・テロリズムを歌います」
「え? アンチ?」
と、思わず声がもれた。
なでおろした右手が爆音を発し、ついで〈出サビ〉をシャウトした。
「ビン、ビン、ビン・ラディン、ノウ!」
女が爆笑した。
そのサビが何度も繰り返される。
「NOって……」
私は故郷のアスファルトへ首をおとした。
――5時を過ぎるころになると、路上も対面している露店も見えないほどの、物凄い人通りとなった。
小中高大学生、子連れの親子、孫連れの爺婆、どこから湧いてきたのかと思うほどの数である。とくに高校生の男女が多い。女は制服姿だ。浴衣姿はなぜか皆無に近い。
私は眼の前を流す人ごみに向かって、40秒に1度の割合で、腹から声を出した。
「あゆの塩焼き、あゆの炭火焼き、あゆの塩焼きいかがですかあ、いらっしゃいいらっしゃい!」
他のテキヤ衆は呼びこまない。
つまり150メートル間で、私だけが大声をあげているのだ。
まずいかなと思ったが、他のテキヤ衆から文句は出なかったし、当の爺さんがやめろとは言わないのだから、まあいいかと開き直った。
(前回のときは開店15分後から行列ができ、売りきれるまで途切れなかったので、呼びこみは最初だけだった)
それに、5時前には爺さんの奥さんが来て、パウンド・ケーキ(!)を売りながら、釣銭の用意や売上金の管理はしてくれているので、私の仕事はお愛想と、鮎を袋に入れ代金をもらうこと、そして何より呼びこみこそがメインだと勝手に決めたのである。
(串うち塩ふりは、爺さんが「おれがやるからいい」というのでしなかった)
奥さんはおだやかで、その表情や所作は若く、なにくれと私にいたわりの言葉をかけてくれ、おにぎりをすすめてくれる。
がしかし、煙草こそ吸いながら、私はおにぎりには手をださず、声を張りあげつづけた。
私の声は、なかなかでかい。
ぞろぞろと歩く夜祭りの客たちは、びっくりしたり、呆れた視線をくれたり、女子中高生たちはクスクスと笑いながら通りすぎる。
人々はたいがい3往復することを最初の1時間で知ったので、この位置で鮎の塩焼きを売っていることを知らせれば、2度目3度目に買ってくれるものと思い、呼びこみを休まなかった。
(実際そうだった)
爺さんは、むっつりと黙りこんだまま鮎を焼きつづける。
ふと見上げれば、にぎわう路の夜空に、見事な満月が昇っていた。
天の川こそ見えないが、おとひめひこぼしにとって「FUCK」びよりの七夕である。
とても小銭をくすねているひまはない――。
同じ年(2010)の浅秋のことである。
田園調布の縁日の話だ。
私の女の実家は田園調布で酒屋をやっており(たしか前夜から2人で泊っていたのだろう)、女に誘われるまま、昼下がりの縁日へ向かった。
そして、びっくりした。
そこは住宅街の路地なのである。
それもたった100メートルほどの通りだ。
1車線の一方通行で、露店が両わきに並ぶと先が見えないほどだった。
路地の入口からほど近い神社は、小学校の教室1つ半ほどの敷地しかなく、小さな御堂があるだけだ。
その御堂を横目で通りすぎたとき、小さな衝撃があった。
3方の板戸がはずされた御堂の中央に、赤いギターが立ててあった。
後ろにドラムはなく、小さなアンプが4つとキーボードの台が左側にあった。
そのギターは「レスポール・ジュニア」の、ヴィンテージに見えた。
姿がいい。
「素人のつかうギターじゃないな」
と思った。
路地の1番奥で、女から〈たこ焼き〉を買ってもらった。
その帰り、神社のほうからレゲエが聴こえた。
レコード(CD)だろう。ルーツ・レゲエだ。
しかし、神社の前で、こんどこそ本当にびっくりした。
(神社を見て、たこ焼きを買って、10分ほどしか経っていなかった)
なんと、そこにバンドがいたのだ――いつのまにかシンプルなセットのドラムが組まれてあった。
その5人組バンドが、ジャマイカ音源のレコードに聴こえた曲を、「生」で鳴らしていたのである。
それも「リハ」だ。
「こりゃ、フジロック並みだぞ」
女が素直にうなづく。
パイプ椅子におかれてあったチラシを読めば、やはり前年「フジロック」に出演をしており、外国の〈レゲエ・コンピ〉にオリジナル曲を入れているバンドであった。
その名は長いもので、最後に「シーズ」とついていた。
シード(種)って、やっぱりそっち好きだよな。
急いで酒屋へ帰り、勝手に酒を選ぶ。
ベルギー産の瓶ビール(アルコール度数16%)を5本ビニール袋へ入れる。
(たしか私は、なぜか白いシャツに着替えたような)
そして女を引連れ、また神社へ急いで戻った。
薄曇りの空の下、そのライブは凄かった。
パイプ椅子に座るのは、私たちと20人ほどの老人たち。
そのまわりを囲むのは小学生の男女たち30人ほど。
若い男女は1人もいない。
演奏曲はオリジナル日本語レゲエの他、ボブ・マーレイのカヴァー、60年代歌謡曲のレゲエ・ヴァージョン、アンコールはサザンの「勝手にシンドバット」のレゲエ・バージョンと、べったべったのサービスぶり。
それを彼らは、モニターも無しに演奏したのである。
つまり、ドラムは生音、ギター、ベース、キーボードはアンプからのやはり生音。
ヴォーカル(&レッド・ギター)のマイク1本だけがPA(?)を通しているだけで、バンド・アンサンブルは完ぺきなのだった。
ハウリさえないよ。で、音はじゅうぶんにデッカイ。
老人も小学生も、のっけから最後まで大騒ぎだ。
「ケンちゃんの町のバンドとちがうね」
途中女が、勝ちほこった笑みをみせた。
「くそっ!」
で、1時間ほどのライブが終わったあと、なんと10数人の小学生の女子たちが、直後に「出待ち」をしたのである。
(紙をもたぬ小学生女子たちは、みな自らのTシャツを引っぱってサインをねだった)
「おお、ビッチ予備軍だ」
「グルーピー予備軍だね」
「これぞ、モノホンのロックバンドだ。悪魔に身を売りわたしてる」
「古川のバンドとは違うね。絶対にこの人たち、ビン・ラディンのテロにNOなんて歌わないもの」
「おまえなあ、しつこい……けど、なんて文化格差だよ。やっぱ、田園調布って凄いなあ。こんな場所で、こんなライブを小学生で体験できるなんて、スタートが早すぎるぜ」
レスポール・ジュニアのヴォーカルは、神社に隣接した家の息子だと、爺さん婆さんが話しているのが聞こえた。
――9時15分前より、最終の呼びこみ声をあげる。
「もう、あゆ最後ですよ。3本千円、あゆ3本千円、あゆ3本千円ですよ、いらっしゃいいらっしゃい!」
(ひと息でここまで叫ぶのがギリ)
で、9時5分前に、焼きあげてあった鮎をすべて売りきった。
けっきょく100尾ほどを売った。
(奥さんもパウンド・ケーキ300円を30個売りつくした)
小銭をくすねるどころか、今回も鮎を食べるヒマはなかった。
「テキヤは、言われたときに立ったまま喰うもんだ!」
最後の最後に爺さんから怒鳴られた。
ごもっとも。
台車を使ってもろもろを車に積みこんだあと、仏頂面の爺さんから裸の1万円札をもらった。
1万円は当然と思ったが、ネタが鮎だけに原価が高いので、ショバ代や炭代やガソリン代を引けば、もしかしたら爺さんの手間賃は1万円を割っているのかもしれない。
(そんなことはないか、爺さんもテキヤ稼業50年なのだし)
それでも奥さんは、爺さんに聞かれないように、秋祭りもよろしくお願いしますねとささやいて、頭を下げてくれた。
(爺さんは下戸なのに肝硬変をわずらっており、もうちょくちょく露店を開けないのだ)
爺さんからのねぎらいの言葉はなかった。
代をつげとの話も。
買物をして七曲り荘へ帰ると、ポストに文藝季刊誌『文藝』(河出書房新社)が配達されてあった。
今号の『文藝』の特集は「176人による現代文学地図(シーン)2000→2020」だった。
その地図に、私の名前はない。
どころか176人の作家のなかにさえ勘定されていない。
献本はされてもアンケートを受けていない。
そりゃそうか。
私が『文藝』に作品を発表したのは、もう7年前の夏だ。
15年のつきあいの担当編集者Mとも、ケンカ別れして3年になるのだし。
それにしても、この日本には176人も「現代作家」がいるのか。
「そのなかに、鮎の塩焼きの呼びこみをしている奴はいないだろうな。テキヤ作家はおれだけだ」
と、ヤセ我慢をつぶやく。
畳に横になって、下着から伸びた脚を見ると、高校サッカー部時代の脚のように太い。
(つまりパンパンにむくんでいる)
むろん、からだはぐったりと重い。
が、ヤセ我慢じゃなく、気分は上々だ。
ただし銭湯へ行く体力まで残ってはいない。
熱いタオルでからだをぬぐい、下着をとりかえた。
窓をあけ、卓上コンロに魚焼きをのせる。
24時間スーパーで買ってきた鮎3尾(1尾280円)に塩をし、爺さんにならってじっくりと焼く。
その間に、他のさかなを用意する。
●ホヤ酢(もちろんキュウリ添え)。
●自家製のナスとミョウガの糠漬け。
●冷奴(一味とネギに胡麻油をたっぷりかけて醤油をふる)。
酒は、黒ビールのロング缶が2本と、冷えた「一の蔵」の4合瓶。
めしは奥さんからいただいたコンビニのおにぎりが3つある。
「鮎は2尾でもよかったかなあ」
なんて、せこい言葉が口からもれる。
なにせこんな酒さかなでも、1万円のギャラから3,500円ほどが吹っ飛んだのだから。
といって、夜祭りデビューが無事にすんだのだ。
「テキヤ作家が、宵越しの金を気にするもんじゃないさ」
パイント・グラスについだ黒ビールを2口で飲み干す。
ひと息ついてすぐに、焼きあげた鮎をつまむと、あんぐり頭からはふはふと喰らう。
ん、旨い。われながら塩梅も、焼き加減もいい。
まあ、爺さんは嗤うだろうが。あっちは炭火なのだし、ギャラリーつきだ。
それはさておき、たちまち骨ごと1本喰ってしまう。
「やっぱり3尾が正解だったな」
さすがに腹が減っていた。
こんなに腹を減らしたのはいつ以来ぶりだろう。
もう、1つ目のおにぎりにかぶりついてしまった。
ホヤも糠漬けも豆腐もすこぶる旨い。
もうすぐ53歳になる50キロを割った体力で、搬入搬出もそれほど苦もなくやり遂げたし、何より4時間しっかり腹から声をだせた。そして、その後もこうして食欲旺盛なのだ。
(3日つづいたら4日目はもう2度と目覚めないだろうが)
開いたままの窓からは、やはり見事な満月が覗いていた。
うむ、めでたい七夕である。
FUCKする相手こそいないが(いたとしてもそこまで手はまわらんが)、今夜は、たっぷりと呑み、たっぷりと喰い、たっぷりと眠ろう。
あなたよ、読んでくれてありがとう。
おやすみなさい。
夏はこれからだよ。
夏祭りだってこれからが本番だろう。
おたがいこの夏は、ロックし、レゲエし、FUCKしようぜ。
なんて今日最後のヤセ我慢をほざいて眠ろう。
よい夢を。
[セカンド7インチ・シングル小説発売中]
●ザ・シェルビスのセカンド7インチ・シングル小説『Shigella』ジャケット写真
被写体:細菌学者(赤痢菌発見者)志賀潔
写真:土門拳
A面「親不知のしゃれこうべ」
B面「ものもらいの数珠」
限定500部/定価1,600円
●アドレス:budroll.shelvis.sy3@gmail.com
――以上へ以下のことをメールしてから、お金を振り込んでください。
◎郵便番号と住所
◎名前(口座のカタカナ読み振りも)
◎電話番号
◎ファースト、セカンドのどちらを希望するか
●1,600円(発送代込み)
●振込先――ゆうちょ銀行
◎BUDROLL
◎普通口座:店番908
◎口座番号:5133817
※通販以外の店頭販売につきましては、もう少し下に店名があります。
P.S.
以下の作品を買ってくれる方、また、仕事をくれる方、メール下さい。
●「詩作品」(手書きした原稿用紙――1万円)
※宅配便着払い
●原稿と編集&コピーライトの仕事。
(個人誌やグループの冊子も受けつけます。アドバイス程度なら、酒と1万円ほどで)
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[ファースト7インチ・シングル発売中]
●ファースト7インチ・シングル『The SHELVIS』
A面「八重桜」/B面「熱海にて」 定価1,600円
●以下の「ディスクユニオン」の店舗で「ファースト&セカンド」発売中。
御茶ノ水駅前店/新宿パンクマーケット/渋谷パンク・ヘヴィメタル館/下北沢店/通販センター
●中野ブロードウェイ「タコシェ」にても発売中です。
●西早稲田「古書現世」にても。
●下北沢「気流舎」にても。
●南池袋「古書 往来座」にても。
●雑司ヶ谷「ジャングル・ブック」にても。
●駒込「青いカバ」にても。
(以上の場所は、ネットで調べてください)
[ユーチューブにてシングル小説A面「八重桜」のPV公開中]
●曽根自身が声と手足で出演しています。
※ガレージパンク・バンド「テキサコ・レザーマン」が全面協力!
[ユーチューブにてPISS&KEROのファースト&セカンド・ライブ放映中]
●中野「タコシェ」にてのポエトリー&サウンド5回。
●下北沢「気流舎」にて。